2016年8月21日日曜日

劇場版アイカツスターズ!とアンチに成り下がったアイカツ!解釈論

 6,7話くらいまで観て、TVシリーズのアイカツスターズ! は特筆するほどおもしろいという作品でもなく(2期までのアイカツ!と比べて、という意味)、録画をしつつ余力があれば観る、くらいの視聴ですが、劇場版公開に合わせて以前の劇場版アイカツ! の特番を放映したりで、昔のアイカツ!(2期までのね)当時の気持ちが蘇ってきたこともあり、放映分の視聴をすませて映画館に足を運びました。

 結論からいうと、アイカツ!はゴミでした。よくあれだけつまらない作品作れるな、と驚くほどに。3,4期と棒に振っておいて、最後であろう劇場版でまったくなんの内容もないキャラクター全員出すだけの映画とか…。なんなの、コレ? 誰のために作ったの?? 

 逆に期待してなかったアイカツスターズ! は映画が初見でも世界観と内容が理解できた上で、なおかつ楽しめる極上の出来で、その落差で狂おしいほど切なくなってしまいました。

 悶々といろいろ考え、今日二度目の観劇に行ったのですが、改めてアイカツ!の酷さと、スターズ!の良さを実感して帰って来ました。スターズはもう2,3度観たいけど、アイカツ!の出来と比べざるを得ない同時上映では二度と観たくないです(ヽ'ω`).

 今回の映画を観て確信したのですが、木村さんってアイカツ!がおおくの人に支持された部分を理解しておらず、あの熱狂は重なりあった偶然が作った産物なんだろうな、と。

 悪い人間を排して、ケンカやドロドロした展開を作らず、キラキラした目標があって、そのためにがんばるスポ根という方向づけと、そこに配置され肉づけされたキャラとスタッフ。それが見事にハマって、たまたま確変を起こしたのでしょう。

  アイカツ!があれだけおおくの人を熱狂させたのは、一言で言えば努力礼賛なんですよ。叶えたい夢があって、それは途方も無いもので、どれだけがんばっても届かないかもしれない。でも絶対にたどり着きたい! その衝動に突き動かされて一秒もムダにせず一心不乱にがんばる! それは過去でも未来でもなく、「今」この瞬間を全力で生きるということ。そんな少女たちの姿に、観ていた幼女はおろかおじさんたちまで圧倒的に共感したんです。毎日めちゃくちゃがんばってる! よし、自分もいちごちゃんたちみたいにがんばろうッ! と笑顔になれる。それがアイカツ!という作品の(1,2期までの)図らずも醸成されたテーマだったのです。

 今回の劇場版にはそういった「憧れ」や「目標」や「努力の尊さ」など一ミリもない、オンナノコがたくさん出てきてワーキャー言ってるお祭り映画でした。もちろんそれがいいじゃん、おもしろいんじゃん! って人もいるでしょうし、そういうたのしみ方も全然否定するつもりはないですが、2期までのアイカツ!の熱を燻らせているぼくにとっては、重ね重ね傷つけられた気分になってしまいました。

 ただ、上記のように偶然が生み出した熱狂がアイカツ!の本質だったとしたら、観るたびにケチつけて文句垂れてってやってるぼくは見当違いなんですよね。もともと木村さんはそんなこと考えてなくて、オンナノコどうしキャッキャやってる作品を全力で作ってたんだよ? それに対して勝手に変な解釈つけて純粋なアイカツ!ファンに失礼だとは思わないの? とか言われたらまったくもってぐうの音も出ない、単なるアンチですよね(´;ω;`)。

 ただ、3期以降売上げや視聴率が劇的に下がったのは、ぼくの解釈と似たような幻覚を感じていた人も相当数いたんだと察します。

 正直、ぼくもアイカツ!という作品を途中まで曲がりなりにも愛していたので、クソだとかゴミだとか言うのは自傷行為同然に猛烈に傷つくんですよね…。じゃぁ言うなや! とか思われるでしょうけど、愛していたが故に言わずにおれずただただ傷つくのみなのです…(ToT)。